令和元年8月27日は、銀河鉄道の童話詩人 宮澤賢治生誕123年目になります。

生誕123年を記念して、さいたま市民宮澤賢治協会では宮澤賢治先生の「手紙」をお送りします。この「手紙」は全4編あり、宮澤賢治先生が岩手県花巻農学校の教師だった大正12(1923)年頃、自費で印刷して学校の下駄箱に入れたり、とく名で知人に郵送したり、家々にポスティングしました。

今回は手紙1「竜の話」をお送りします。

むかし、あるところに一疋(いっぴき)の竜(りゅう)がすんでいました。
力が非常(ひじょう)に強く、かたちも大層(たいそう)恐(おそ)ろしく、それにはげしい毒(どく)をもっていましたので、あらゆるいきものがこの竜に遭(あ)えば、弱いものは目に見ただけで気を失(うしな)って倒(たお)れ、強いものでもその毒気(どくけ)にあたってまもなく死(し)んでしまうほどでした。
この竜はあるとき、よいこころを起(おこ)して、これからはもう悪(わる)いことをしない、すべてのものをなやまさないと誓(ちか)いました。
そして静(しず)かなところを、求(もと)めて林の中に入ってじっと道理(どうり)を考えていましたがとうとうつかれて眠(ねむ)りました。
全体(ぜんたい)、竜というものはねむるあいだは形が蛇(へび)のようになるのです。
この竜も睡(ねむ)って蛇の形になり、からだにはきれいなるり色や金色の紋(もん)があらわれていました。
そこへ猟師共(りょうしども)が来まして、この蛇を見てびっくりするほどよろこんで云(い)いました。
「こんなきれいな珍(めず)らしい皮(かわ)を、王様(おうさま)に差しあげてかざりにしてもらったらどんなに立派(りっぱ)だろう。」
そこで杖(つえ)でその頭をぐっとおさえ刀でその皮をはぎはじめました。竜は目をさまして考(かんが)えました。
「おれの力はこの国さえもこわしてしまえる。この猟師(りょうし)なんぞはなんでもない。いまおれがいきをひとつすれば毒(どく)にあたってすぐ死(し)んでしまう。けれども私はさっき、もうわるいことをしないと誓(ちか)ったしこの猟師(りょうし)をころしたところで本当にかあいそうだ。もはやこのからだはなげ捨(す)てて、こらえてこらえてやろう。」
すっかり覚悟(かくご)がきまりましたので目をつぶって痛(いた)いのをじっとこらえ、またその人を毒(どく)にあてないようにいきをこらして一心(いっしん)に皮をはがれながらくやしいというこころさえ起(おこ)しませんでした。
猟師(りょうし)はまもなく皮をはいで行ってしまいました。
竜はいまは皮(かわ)のない赤い肉ばかりで地によこたわりました。
この時は日がかんかんと照(て)って土は非常(ひじょう)にあつく、竜はくるしさにばたばたしながら水(みず)のあるところへ行こうとしました。
このとき沢山(たくさん)の小さな虫が、そのからだを食おうとして出てきましたので蛇(へび)はまた、
「いまこのからだをたくさんの虫にやるのはまことの道(みち)のためだ。いま肉をこの虫らにくれておけばやがてはまことの道(みち)をもこの虫らに教(おし)えることができる。」と考(かんが)えて、
だまってうごかずに虫にからだを食わせとうとう乾(かわ)いて死んでしまいました。
死んでこの竜は天上にうまれ、後には世界(せかい)でいちばんえらい人、
お釈迦様(しゃかさま)になってみんなに一番のしあわせを与(あた)えました。
このときの虫もみなさきに竜の考えたように後にお釈迦(しゃか)さまから教(おしえ)を受けてまことの道に入(はい)りました。
このようにしてお釈迦さまがまことのために身(み)をすてた場所はいまは世界中(せかいじゅう)のあらゆるところをみたしました。
このはなしはおとぎばなしではありません。

 

当協会は専門家による「研究機関」ではありません。“元祖マルチ愉快人間”の宮澤賢治先生を慕う愛好家が、賢治先生の生徒となって、賢治先生の教えに学び、日々の生活の中に活かし、さいたま市もイーハトーブ(賢治先生のめざした理想の郷土)となるよう、いろいろなイベントを通じて楽しい“宮澤賢治生きがい街おこし活動”をしてまいりたいと思います。

あなたのご参加をお待ちしております。 会長 水野臣次