11月3日は宮澤賢治先生が「雨ニモマケズ」をご記入された記念日です!

「元気が出る言葉」、「人生の応援歌」として多くの人々に親しまれている「雨ニモマケズ」は、今から92年前の昭和6(1931)年11月3日 明治節(文化の日)に、宮澤賢治先生が、ご自身の手帳にお書き留めされました。11月3日は、宮澤賢治先生にとって大切な日。それは宮澤賢治先生の師である田中智学 師が「1年の魂とせよ明治節」と呼びかけていたからです。時に宮澤賢治先生35歳の秋。その2年後の昭和8(1933)年9月21日、「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる」「病(いたつき)のゆゑにもくちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし」の、とても病床にあった者とは思えない清々しく、東北の秋を讃える太陽の辞世を残して、高々とお題目を唱えて逝去されました。そして今年は、宮澤賢治先生ご逝去90年です。

宮澤賢治先生が加盟していた国柱会の庭に立つ辞世の句(HatenaBlog宮沢賢治2つの謎より)

【明治節】大正14年2月、田中智学(国柱会創始者)などの熱心な呼びかけに応じて、約2万人が「明治大帝ノ御偉業ヲ永久ニ記念感戴スル為、国家的祝日ヲ制定スベキ請願」に署名、議会に提出された。この請願は同月23日、満場一致で可決。貴族院では審議未了(大正天皇御病状が進行中の為)。昭和2年3月3日、明治天皇の御聖徳を敬仰して、この年の11月3日を「明治節」(祝日)として制定された。戦前の祝日であった新年の諸祭祀・儀式、紀元節、天長節(「三大節」)と併せて、「四大節」と称される。(明治神宮 歴史データベースより)

さいたま市民宮澤賢治協会では、11月3日に各方面へ「雨ニモマケズ」を送信させていただきました。